新社会人の考え事

1日1つずつ強くなる

なぜひろゆきに傾倒するのか?

現在は、能力主義社会である。能力がある人が正義であり、高い給料を得ることができる。能力は、努力によって決まる。だから能力主義社会が最も平等な社会である。本当にそうだろうか?

一般の人たちはスポーツ選手にはなれない。体格などの才能に恵まれないからだ。それは、見るからに明らかである。しかし、知能などの目に見えない部分もなぜ才能だとは言えないのだろうか?知能は鍛えれば伸びる。確かにそうだが、体格も鍛えれば伸びるが、元々の身長や筋肉質かどうかによってかなりの部分が左右される。なので、能力は、努力だけで決まるわけではない。その人の元々もつ才能があり、そこに努力が加わることにより、能力となる。さらに、才能だけではなく、環境も重要な要因である。お金持ちの家に生まれたか。初めから練習できるような環境や教えてくれる人が周りにいたのかどうか。残念なことに、努力できるかの遺伝子があるという。ということは、能力というのは、才能、環境、努力できる遺伝子によって決まるということである。なので、その人のもつ能力というのはほとんど運に左右されたものである。

では、自分たちにできることは何かあるのだろうか?ここから、ひろゆきが出てくる。ほとんどの成功者たちは先程の話を認めようとはしない。自分の努力を認めたいからだ。自分のようにやれば、他の人たちの同じようにできると信じているからだ。しかし、ひろゆきは、信じていない。そして、能力を持たない一般の人たちに、そのような社会で生きていく方法を教えてくれる。

まず、人生が楽しいかどうかは主観である。なので、人生を楽しむことは、能力があり評価されることとは関係がない。人生を楽しむことは、能力に左右されず、自分の力でコントロールできることであるという主張が一般の人たちの心をガッチリと掴んだ。お金に左右されないようにしようとも言っている。お金に左右されるということは、自分の能力、つまり運に左右されるということだ。なので、ほとんどお金を使わずにできる娯楽をすることを推奨している。例えば、映画やゲームは今や無料でできるものが大量にある。そう言ったもので楽しめる人こそ、お金に左右されずに、人生を自分でコントロールし、楽しく暮らすことができるということをひろゆきは教えてくれているのではないだろうか。